バスで博多駅に向かっていました。もうすぐ到着という時点で渋滞に巻き込まれてしまいました。
何気なく歩道の方を見ると、大きなキャリーバックを持った2人の女性が、目的の場所が見つからないのか携帯を見ながらキョロキョロ。周囲には通行人が大勢いますが、誰も彼女たちの困っている様子に気が付きません。バスを降りられるものなら「何かお困りですか」と声をかけたいと、もどかしい気持ちでした。
若い頃やコロナ前には時々海外に出かけました。どこの国でも道で迷っていると、必ず誰かが声をかけてくれます。言葉が通じないもどかしさを感じながらも随分と助けられたことを思い出します。
20年ほど前に仕事でフィリピンに出かけ、会議中にトイレに行きたくなって、そっとドアを出て、通りかかった女性に場所を尋ねました。彼女はOKと快く案内をしてくれました。用を済ませて外に出ると彼女が壁に寄りかかって待ってくれているではないですか。おかげで無事に会議室に。入り組んだ構造の建物でしたから彼女がいなければ確実に迷っていたと思います。ありがたすぎる思い出です。
コロナ前に北京で何度も地下鉄に乗りました。ちなみに北京は地下鉄に乗る時も必ず荷物検査があります。地下鉄のドアが開き、乗り込むと同時に若い人がすっと席を立ち、その場を離れます。空いた席に躊躇なく座らせていただきましたがお礼を言いたい相手は近くにはいません。シャイな人の席の譲り方なのかと思いましたが、その後何回も同じ席の譲られ方をしました。昇降口にお年寄りを見かけると若い人が席を立つという習慣があるのかしら。夫も私も白髪で見かけもしっかり高齢者です。スマートな優しさだと思いませんか。
博多駅のタクシー乗り場で、大荷物を持った小さなおばあさんが(私のこと)並んでいました。前にいた外国の大柄の男性3人が同時に私に気づき、揃って「アフターユー」と手の平を上に見せて前方を空けてくれました。思わぬ優しさに「サンキューベエリーィマッチ」と超大げさにお礼を言うと3人は大笑い。
日本人は!なんて言いません。言いたくもありません。日本人にも親切な方は大勢いますもの。しかし、肩が触れ合って「エクスキューズミイ」、道を譲ると「サンキュー」、聞こえるのは外国の言葉です。「何かお困りですか」「ありがとう」「失礼しました」と、美しい日本の言葉をもっと聞きたいと思います。
二度と会うことのない人に対して礼儀正しく親切にできることは素敵です。