2022年5月25日

NO.109「一人ではないはず」 県P新聞 令和4年5月号から

 原稿を書いているのは三月の半ばです。「三月はライオンのようにやってきて子羊のように去る」という西洋のことわざがあります。初旬はまだ肌寒く天候も荒れ気味ですが、4月が近くなると確かに穏やかな日が続くようになります。
 世の中もそのようであってほしいと祈りたい気持ちです。ロシアのウクライナへの侵攻については心が痛みます。何もできないもどかしさの中で考えました。
 先日ラジオ局で出番を待っていた時のこと。大量の書類を積んだカートがドアに近づいてきました。私は立ち上がってドアを開けました。カートを押す女性はとても驚いた様子で「親切なのですねー」と・・・。
えっ親切ですか・・・?ドアの近くにいて、そこを両手がふさがった人が通ろうとしたら当然開けるでしょ。蚊が手にとまったら反射的にたたくのと同じくらいのことだと思うのですけれど。それが驚かれるほどの親切って言われる世の中なの・・・?
 そういえば同じ日にこんなこともありました。ホットミルクを買いにコンビニへ行くと、歩行器を押したお年寄りが入り口で立ち往生していました。私はドアを開け危なくないようにと抑えていました。それでも歩行器が1センチほどの段差に引っかかり前に進めません。その間も何人もが横をすり抜けてコンビニに入って行きました(私はドアガール状態)。次の人を待って、歩行器を少し持ち上げてあげて下さいと頼みました。解決です。
 通り過ぎていったどなたもがお年寄りを見ていない、気が付きもしない。不親切以前の問題です。
 細い道ですれ違うときに避けるのは大抵お年寄りや荷物をたくさん持っている方です。相手は道を譲ってもらっていることに気づいてもいません。繰り返しますが見て見ぬ振りをされるよりも不気味です。
 携帯を見ながらノロノロと横断歩道を渡る人。左折車が何台も待っているのにもちろん気がついていません。地球上に暮らしているのは君だけなのかと叫びたくなります。他者を意識しないのは楽かもしれないけれど、孤独ではないですか。
自分以外の生身の身体と心を持った他者がいる。当たり前のことを感じる心が希薄になっていませんか。
 具体的には何もできなくても、怖い思いをしてるではないか、お腹が空いていないか寒くはないかしらと思いやる心だけでも持っていたいと思いませんか。
 どうぞ子どもさんにその思い伝えてください。地球上の主役は自分だけではないことを。