2023年5月8日

№115 笑い合える親密な人間関係を 県P新聞5月号から

 「うちの大型犬がね・・」が夫のことを人に伝えるときの私の決まり文句なのです。「そんな言い方するものじゃあないわ」と真剣に注意してくれる人もいるけれど、散歩が大好き、暇があれば昼寝していて、いつもご飯が待ちどうしい大柄な夫を他にどう呼べばいいのかしら。
 夫も負けてはいなくて「客が来たら吠えてやる」と言うので知らん顔していたら「では客の顔を舐めるぞ」と、それだけはやめてねと結局二人で笑って話しは終わります。少しシリアスな喧嘩をしていても最後に私が「もう捨てるからね」というと「それだけは許して」と夫は笑う。結婚して50年、妻の悪ふざけに鍛えられた結果なのですが。
 今の時代こう言うことを他人に言うとパワハラだと言われ大問題になり新聞沙汰にもなりかねないので決して皆さんにお勧めしているわけではありません。笑いと一緒に皮肉や毒があるのが当たり前に生きてきた私はかなり時代遅れな人間なのです。
 20年以上も前のことニューヨークで暮し始めた方からの手紙に『こちらでは5分に一度、私の発言があなたを傷つけていませんかと聞かれるのよ。気づかいが素晴らしいでしょ』とあって、都市化すると人間関係がこうも希薄になるのかと勝手に解釈していましたが今の日本もまさにこういう風ではないかしら。
 思いやりや優しさあふれた言葉に満ちた世の中であるはずなのに。孤立する人やいじめ問題が増えているのが不思議でなりません。
 私がいつもきつい冗談を連発するおばさんだと親しい人はみんな知っているのですがそれには理由があるのです。何度も書きましが二歳になる前に母が亡くなって知らない女性をいきなりお母さんと呼ぶ環境で育ったのです。新しい母は容姿、性格も端正で家事は全てにおいて完璧で今思い出しても感謝しかありません。しかし家の中は常にシーンとして冷たい風が吹いている記憶なのです。学校でふざけたひょうきんな子であることでバランスが取っていたのもしれません。ひょうきんなまま大人になり、お婆さんになってしまいました。
 私は役割上、人の痛みの分かる優しく思いやりのある人になりましょうねと伝えなくてはと思ってはいるのですが、へそ曲がりでごめんなさい。
 本音や多少きつい言葉でも笑い合えるような親密で深い人間関係を築いていて欲しいという気持ちが強いのです。
 食事でも辛いの、苦いの、酸っぱいものがあって豊かなのです・・と無理やり料理に結びつけて今回は終わり。